京都と大阪で見つけた夕焼けの色気
信仰心が起こるのは自然なことだよ
多様な人間と出会い、他者に寛容になるということ
はじめまして(SNSが流行っている時代にあえてブログを書く意味)
はじめまして。
東大1年の門倉福太郎といいます。東大独特のシステムでまだ専攻は決まってないけど、経済系の学部に進むつもりでいます。他にも政治や地理、歴史、哲学など、社会科学や人文学であれば幅広く関心があります。
以下、敬語では書きにくいので常体で記す。
自己紹介に代えて、なぜブログを書くことにしたのか2つの理由を述べていこうと思う。
まず1つは、自分の日常や特別な出来事、あるいは思考の跡を、文章という形で残したかったためだ。僕は人と接することが好きな一方で、良くも悪くもちょっとしたことに対しても何かしらの意味を見出そうとする人間なのだ。些細なことに意味を見出し、もしくは発見し、他の人ならばいちいち覚えないような小さな感動を覚えることがある。でもそのような感動や驚きもやがては風化してしまう。未来よりも過去をありがたがる僕にとって、忘れるということほど悲しいことはない。そこで、一時的な感情や疑問を文章に書き起こし、それらにある程度の明確な輪郭を与えることによって、僕の感じたこと、思ったことを整理された形で残したいのだ。
しかし、文章に残すといっても、そのためのツールはたくさんある。大学ノートに書き殴ったり、TwitterやFacebookのようなSNSを活用したり。ここ数年は後者のやり方が多いだろう。それなのになぜブログという、一見SNSに押され気味なツールを選んだのか。Twitterは140字というコンパクトさが売りだ。一発ネタや本当に一時的な感情を文字通り「つぶやく」分には良い。全体としてインフォーマルな印象を受ける。だが僕はもう少しまとまりを持った文章を書きたい。Twitterではどこか物足りない。逆に、Faceboookは日常をつづるには少し硬すぎる。「特別な出来事をみんなに披露している場」になっている感が否めない(少なくとも僕の周囲の大学生の使い方はそうだ)。その中で日ごろに感じた些細なことはどうも書きづらいのだ。その2つのSNSの中間的性格を持つのがブログだと思って僕はそれを選んだ。
ブログを始めたもう1つの理由は、出会いを求めてのことである。実は僕はかつて中学時代にもブログにはまっていたからわかることだが、ブログも人と人をつなぐツールになりうる。SNSは交流それ自体を目的にしているので、ブログよりも人とのコミュニケーションが生まれやすいが、一方でブログは、日記や趣味など各個人の人生の一部がはっきりとした文章の形で残っているためか、より深いつながりが生まれやすい気がするのだ(どうしても数はSNSに劣るが)。とりわけはてなブログはしびれる文章を書く方々が多い気がする。
ブログを書くことにした理由は以上になる。自己紹介は少しずつしていく(かもしれない)。よろしくお願いします。