Feel my feeling

国家公務員を志して九州の地方都市から東大へ進んだ学生が、将来への悩みや日常への思い、関心のある分野(旅、地理、政治経済、ランニングなどなど)について記していきます。

京都と大阪で見つけた夕焼けの色気

お久しぶりです、門倉です。
つい先日、3泊2日で京阪旅行に出かけてきたのだ。

結論から言えば、素晴らしいものだった。高校の部活の同期と会うのが目的だったので、観光はそこまで考えてなかったが…思わず魅了されてしまった。とりわけ京都という街はやはり観光の王様であった。
友達との会話が楽しかったのはもちろんだが、この都市の新たな側面を幾つか覗けたこと、そして時間に対して敏感になれたことがかなり嬉しかったのだ。
朝の嵐山は風光明媚。散歩をしている近所の住民しかいない中での嵐山。特に竹の小径や祇王寺は五感を研ぎ澄まされた。竹の小径はその名の通り、竹で囲まれた細道のことである竹のほのかな快い匂い、朝のフクロウの鳴き声。祇王寺は、小さい空間の中に作り上げられた、控えめな日本庭園が素晴らしい。松、池、苔、盆栽、鶯、木洩れ陽。ああ、まさしく「古き良き日本」が凝縮されているなという感じ。別に知識がなくとも、その趣きを僕のDNAが反応した。

f:id:kadokurakun:20160327163029j:image
f:id:kadokurakun:20160327163049j:image
f:id:kadokurakun:20160327163215j:image

昼を嵐山で済ませた後は八坂神社、清水寺など京都市東部の観光。それらよりも、その後の夕方に訪れた高台寺という、秀吉にまつわる寺が意味深いものであった。お寺そのものよりもその時間帯に意味を見出したと言う方が適切かもしれない。この空間での夕方という時間に感動しました。高台寺清水寺から祇園に至るまでの下り道の途中の高台に位置している。あたりは少しだけ静かだ。着物を着た観光客らしき女性がちらほらいる。そして市街地方面を見ると綺麗な夕焼け。この夕焼けと、どこかのお寺の五重塔、ちょっとした静けさ。夕方は1日を振り返る時間だとよく言われるが、それを身体で受け止めた時でもあった。

f:id:kadokurakun:20160327163319j:image

夜は烏丸でディナーをとった。ここでも発見が。以前は河原町から八坂神社に至る道が京都の中心部と考えていたが、そうではなかったのだ。河原町から烏丸に至る通りが一大繁華街なんだなあと。前者はむしろ観光客相手の店ばかりだが、後者は地元の人が日頃から使いそうなショッピングビルや居酒屋などがただずんでいた。他の都市でも見慣れた看板がチラホラ見えてなんとなくホッとしたものだ。街並みに注意を払っている京都の努力もやはり伝わってはきたが!

翌日は伏見稲荷、宇治の平等院に行った後、大阪入り。友達と再会する前に大阪城を久々に見てきたが、そこで再びあの「夕方」に遭遇した。前日の夕方がノスタルジーを刺激する情緒豊かな優しさをもつとすれば、この日の夕方は、あたかも僕に何かの終わりを迫ってくるような、激しい顔をしていた。それはおそらく、背後に大阪のビル群がそびえていることや、そもそも大阪という街に僕が立っていたという事実に関係しているのでしょうか。こうして、僕はますます夕方の持つ色気に魅了されてしまった。
f:id:kadokurakun:20160327163355j:image

信仰心が起こるのは自然なことだよ

こんにちは。雪山にこもろうとした結果ちょっとした失敗した、2週間前の話をしたい。初めての日記かな?

前学長の学事暦改革の影響で、今年の東大の冬休み(+春休み)は長い。大多数の大学は年末年始の数日間の冬休みと、試験後の2、3月の春休みという長期休暇の組み合わせだが、なんと東大(の教養学部)は、クリスマスの日を試験最終日とし、その翌日から4月初旬までをまとめて冬春休みとしたのだ。もっとも、この新学事暦は教授には大変不評だったようなので来年からはまた元に戻るけど。

この冬春休みは壮大だ。夢がある。暇と言ってしまえば暇だが、時間の活用の仕方によっては無限の可能性が感じられる。
では僕はこの冬春休みをどう活用しようとしたか?旅が好きだから、極力いろんなところに旅するつもりだった(広い意味での旅であれば最低でも7回の予定!!!笑)。
年末年始は成人式まで地元へ18切符を使ってゆっくり帰省。1月半ばから2月半ばまでの1ヶ月間は越後湯沢のスキー場で1人山籠り合宿、バイトをしつつスキー上達、ランニング。帰京してまたすぐに沖縄へマラソン。3月は貯めた資金クロスバイク購入、関東近郊をぐるぐる回る(埼玉の魅力を発見する旅とかね笑)。同時に新しいサークルに顔出したり、本を読み漁ったり、初めての海外旅行に行ったり。

前置きが少し長くなったが、事件が起こった舞台はスキー場だった。
初めて新幹線でくる越後湯沢には気分もルンルン…ではなく不安が募った。
f:id:kadokurakun:20160205131429j:image f:id:kadokurakun:20160205131401j:image
雪に馴染みのない土地で育った僕にとって雪国は同じ日本とは思えなかった。駅に降り立った瞬間から空気が違った。冷たい。人が少ない。吹雪。気持ちがなんとなくどんよりした。
川端康成がここを雪国と称したのも頷ける。

そして20分間バスに揺られて契約していたスキー場の寮へ。寮とスキー場もお山のてっぺんにある。事務所の方からほとんど仕事などに関する説明はなく、案内された部屋がこちら。
f:id:kadokurakun:20160205131920j:image
汚い。狭い。右の布団、誰かおる?明日の仕事のこともあってさらに不安に。
やることもなく本を読んだり走ったりスマホいじったりして入寮日を終えた。
結局相部屋のはずだったが誰もこなかった(右の布団の謎笑)。

翌朝からリフト係のお仕事。7時半から17時まで。これがかなりの単調作業の上、職場も地元のご年配の方がほとんどであまり馴染めなかった。当然ストレスもたまる。初めの2、3日はスキー場と雪国の閉鎖性にふさぎこんでいた。
しかしそれ以後、気持ちはうなぎのぼりになった。まず仕事と職場に慣れたこと。ポツポツ他の大学生が来て友達になれたこと。なによりもスキー用品のレンタルが可能になって、勤務後のナイターが滑り放題になったこと。下手なので、たくさん転びながらも楽しんでいた。そしてその後の無料の温泉と飯が最高だった。仕事さえ辛抱すれば天国である。
5連勤後、僕は初めての休日をもらった。
「今日こそは」ということで、日頃ナイターでは滑れないコースを午前中にたくさん滑った。
f:id:kadokurakun:20160205132755j:image
この銀世界。
お昼も近づき、これで最後にしようということで、なかなかの難所である山頂を滑ることにした。少しずつ取り戻した過去に滑った感覚と、僕の好奇心が山頂に行かせた。

山頂というだけあってなかなかの急斜面である上に、林間の細い道。期待と不安が込み上げる。このままぼんやりしているといつまでたっても滑れないと思い、エイヤー!と身体を投げ込む。案の定、猛スピードが出る。山頂を滑っている人をリフトから見てもわからないが、自分がいざその人になるとやはり凄まじいスリルである。すると目の前に急カーブが現れたのだ。まだまだ未熟な僕は身体を十分に曲がらすことが出来ず、思いっきりこけた。スキーが雪面に45度の角度で突き刺さった。通常ならばスキーから靴が外れて僕の身体が投げ飛ばされるはずだが、どうした事か、靴は外れず身体だけ投げ出された。身体だけが投げ出されて足は固定されたままので僕の左足首はぽっきんと逝った。
痛いよぉ痛いよぉとうずくまること5分、ベテランのおじさんが迎えに来た。あんた大丈夫かい、と。彼がパトロール隊を呼んでくるとわっと辺りに笑いが起こった。お前かよ!!!と(パトロール隊のお兄さんとは前日会ったばかりであった)。

棺桶のようなスノーボートに乗せられて下山し、病院へ駆け込んで緊急治療、所詮は骨折だったがもちろん仕事はできないのでクビ。東京へ1週間で戻された。保険や交通費、治療費などの諸経費がかかったので、給料をもらっても結局5000円しか手元に残らない結果となった。俺は何のために雪山にこもったんだ!!(当初は18万を稼いでクロスバイクを買う予定だった)
これから雪山生活を楽しむ所というのに!!

こうして春休みの予定は1通り消えた。旅もマラソンも。さあどうしよう。バイトしたり友達とぼちぼち遊んだりしながらなにかの勉強でもするか。

最近僕は悪い霊や神というものは存在するのではないかと時々思う。ほかの人と比べて事故や事件に巻き込まれることが多い(これで大怪我は5回目?)。幸い今生きてるけど、大量出血で死にかけたこともある(命はおそらくあの世の祖先に助けられたのかと思う)。怪我が僕の予定を潰してくる。今回は春休みの始まり、ある時は部活の公式戦の1週間前。それに悪いことが起こる日は何か胸騒ぎがするのだ。また、友達の誕生日や彼女との記念日といったような大切な日であることが多い。何なんだ?腹立つけどどうすればいいのか分からない。すがりたい。神様にすがりたい。新年に5社に参った僕にご利益を恵んでください。

このすがりたいという思いは普遍的なものだと思う。まだ学生の分際だけど、きっと生きていることって苦しいことの方が多いのだとも思う。快楽はすぐ過ぎていくけど、辛苦はじわじわと人間を襲う。そんな人生だからこそ、宗教が存在するのは自然じゃないだろうか?僕の周りには無宗教や宗教不要論を主張する人がたくさんいるけど、どっちもおそらく間違ってる。たとえ信仰の対象が純粋な意味での神でなくても、何らかの事物を自分の神=偶像として据えなければ生きていけなくないか?苦しみを乗り越える上で自分に指針を与えてくれるのは、そのような広い意味での神様であるに違いない。抽象論や感覚に基づいた意見で説得力にかけるかもしれないけど、この主張には自信がある。俺自身は神様の存在を信じているし、あの世にも現世にも僕にとっての偶像はいる。何教かは知らん。

とはいえ、新興宗教には気をつけようと思った今日でした。










多様な人間と出会い、他者に寛容になるということ

こんにちは、門倉です。

今日は渋谷で用事があって、色んな大学生や社会人の方と初めて顔を合わす機会があった。
用事が済んでアフターでランチをとることになった。

そこで僕は東大の同級生のJという男に出会う。
彼はあまりにも合理的な人間だった。

J「門倉くんはなんで経済学部に行きたいの?」
僕「経済に興味があるからだよ、他には政治とかも好きだけど」
J「それだけ?」
僕「話し始めると色々掘り下げられるけどとりあえず主な動機はそれ」
J「ふつうもっと考えると思うけどなあ。俺は法学部に行きたい。まず高一の頃の文理選択で少し迷った。理数が得意だったから理系に進まないのかと言われたけど、俺はお金で世の中が回っていると考えて経済を学びたかったから文系にしたよ。その少し前は検事になりたかったけど、転勤続きのせいで離婚率高いからやめた。その後現役で東大の文2(注:経済系の学科)を受けて落ちて慶應の経済に進んだけど、経済学学んでも別に世の中のことなんてわかんないって感じた。それに社会のプレイヤーとして生きていく上でルール、つまり法律を知らないのはどうかと思って。サッカーやっててオフサイド理解してないようなものでしょ。そういうわけで仮面浪人して今年から東大の文1(注:法律系の学科)に進んだよ」

僕はなぜ経済学部に行きたいのかという問いを投げかけられると曖昧に答える。正直言ってそこに強い動機はない。もともと法学部に進む文1を志望していたが、親との揉め事や僕の妥協など色々な理由があって文2に進んだ。経済学は政治に比べると興味は薄かったが、実際にやってみると面白かった。選択肢を法学部か経済学部かに限れば、その選択基準は人脈やそれぞれの学問に対する興味の寡多に過ぎないと僕は考えていた。恥ずかしくてあまり人前では言えないが、これが本音だ。

だからこそ、初対面のJにあの問いを唐突に投げかけられて、彼自身の答えを流暢に述べられた時は面を食らったのだ。彼は真剣に人生を生きているのだ、きっと頭の回転は速いんだと敬意を抱くとともに、初対面の、まださほど仲良くない人間にここまで突っ込むかという戸惑いを覚えた。

彼は小さい頃から知的好奇心が豊富であり、理詰めであるということを自覚していたし、周囲の人も感じていたようだ。

「本質的な会話しかしたくない。手段にすぎない表面的な会話は楽しくないから」
「同じクラスには青森から上京してきて外交官を目指して燃えてる人がいる。でも外交官になってから何をしたいかはっきりしてなくて、視野が短絡的」
「とりあえず何かをする、ということも意思決定に含まれるよね」

このような言葉が彼の自信のある口から出てきた。
かなり目的論的な人間で驚いた。
確かに面白い。将来を真剣に考えている。頭もいい。おそらく、一緒に勉強や仕事に取り組む上では頼もしい仲間かもしれない。
しかし僕はなんとなく嫌な気持ちになった。直感的に彼とは本音で話したいと思う日が来る気がしなかった。
冒頭の話にしろ、途中に挟んだ発言にしろそうなのだが、初めて会った人間との距離をとろうしないところに違和感を感じた。もっと具体的に言うと、自分の好みだけならまだしも、嫌いな考え方や人間のタイプまでおおっぴろげに見せてきたり、自分の価値観を相手に押し付けてきたりするところ。場合によってはそれが周囲を不快にさせる。

ここで僕が(反面教師的に)学ぼうと思ったのは、まだ仲良くなって間もない頃は特にそうだが、あまり自分の内面の深い部分まで相手にさらしすぎないこと、そして逆に相手の奥深くまでずけずけと踏み込まないこと。少しずつ仲良くなった後や酒の席でそういうことは話せばいい。踏み込んでもいいが、周囲への配慮は怠らないこと。極端な例だが、「バカなやつは話す気にならない」、こんなことを初対面の人間が言ったとしてこいつと仲良くなりたいとは思わないだろう。余裕というか、寛容さ、気配りの心は、まさしく多様な人間と出会い、彼らを自己の中に取り入れることで得られるものではないか。

なんだ、当たり前のことじゃないかと思う人もいるかもしれないが、これを大きく実感した日だった。自分の思想や感覚を磨いて内に秘めつつも、相手のそれを尊重できる人間になりたい。


はじめまして(SNSが流行っている時代にあえてブログを書く意味)

はじめまして。

東大1年の門倉福太郎といいます。東大独特のシステムでまだ専攻は決まってないけど、経済系の学部に進むつもりでいます。他にも政治や地理、歴史、哲学など、社会科学や人文学であれば幅広く関心があります。

 

以下、敬語では書きにくいので常体で記す。

自己紹介に代えて、なぜブログを書くことにしたのか2つの理由を述べていこうと思う。

 

まず1つは、自分の日常や特別な出来事、あるいは思考の跡を、文章という形で残したかったためだ。僕は人と接することが好きな一方で、良くも悪くもちょっとしたことに対しても何かしらの意味を見出そうとする人間なのだ。些細なことに意味を見出し、もしくは発見し、他の人ならばいちいち覚えないような小さな感動を覚えることがある。でもそのような感動や驚きもやがては風化してしまう。未来よりも過去をありがたがる僕にとって、忘れるということほど悲しいことはない。そこで、一時的な感情や疑問を文章に書き起こし、それらにある程度の明確な輪郭を与えることによって、僕の感じたこと、思ったことを整理された形で残したいのだ。

しかし、文章に残すといっても、そのためのツールはたくさんある。大学ノートに書き殴ったり、TwitterFacebookのようなSNSを活用したり。ここ数年は後者のやり方が多いだろう。それなのになぜブログという、一見SNSに押され気味なツールを選んだのか。Twitterは140字というコンパクトさが売りだ。一発ネタや本当に一時的な感情を文字通り「つぶやく」分には良い。全体としてインフォーマルな印象を受ける。だが僕はもう少しまとまりを持った文章を書きたい。Twitterではどこか物足りない。逆に、Faceboookは日常をつづるには少し硬すぎる。「特別な出来事をみんなに披露している場」になっている感が否めない(少なくとも僕の周囲の大学生の使い方はそうだ)。その中で日ごろに感じた些細なことはどうも書きづらいのだ。その2つのSNSの中間的性格を持つのがブログだと思って僕はそれを選んだ。

 

ブログを始めたもう1つの理由は、出会いを求めてのことである。実は僕はかつて中学時代にもブログにはまっていたからわかることだが、ブログも人と人をつなぐツールになりうる。SNSは交流それ自体を目的にしているので、ブログよりも人とのコミュニケーションが生まれやすいが、一方でブログは、日記や趣味など各個人の人生の一部がはっきりとした文章の形で残っているためか、より深いつながりが生まれやすい気がするのだ(どうしても数はSNSに劣るが)。とりわけはてなブログはしびれる文章を書く方々が多い気がする。

 

ブログを書くことにした理由は以上になる。自己紹介は少しずつしていく(かもしれない)。よろしくお願いします。