Feel my feeling

国家公務員を志して九州の地方都市から東大へ進んだ学生が、将来への悩みや日常への思い、関心のある分野(旅、地理、政治経済、ランニングなどなど)について記していきます。

多様な人間と出会い、他者に寛容になるということ

こんにちは、門倉です。

今日は渋谷で用事があって、色んな大学生や社会人の方と初めて顔を合わす機会があった。
用事が済んでアフターでランチをとることになった。

そこで僕は東大の同級生のJという男に出会う。
彼はあまりにも合理的な人間だった。

J「門倉くんはなんで経済学部に行きたいの?」
僕「経済に興味があるからだよ、他には政治とかも好きだけど」
J「それだけ?」
僕「話し始めると色々掘り下げられるけどとりあえず主な動機はそれ」
J「ふつうもっと考えると思うけどなあ。俺は法学部に行きたい。まず高一の頃の文理選択で少し迷った。理数が得意だったから理系に進まないのかと言われたけど、俺はお金で世の中が回っていると考えて経済を学びたかったから文系にしたよ。その少し前は検事になりたかったけど、転勤続きのせいで離婚率高いからやめた。その後現役で東大の文2(注:経済系の学科)を受けて落ちて慶應の経済に進んだけど、経済学学んでも別に世の中のことなんてわかんないって感じた。それに社会のプレイヤーとして生きていく上でルール、つまり法律を知らないのはどうかと思って。サッカーやっててオフサイド理解してないようなものでしょ。そういうわけで仮面浪人して今年から東大の文1(注:法律系の学科)に進んだよ」

僕はなぜ経済学部に行きたいのかという問いを投げかけられると曖昧に答える。正直言ってそこに強い動機はない。もともと法学部に進む文1を志望していたが、親との揉め事や僕の妥協など色々な理由があって文2に進んだ。経済学は政治に比べると興味は薄かったが、実際にやってみると面白かった。選択肢を法学部か経済学部かに限れば、その選択基準は人脈やそれぞれの学問に対する興味の寡多に過ぎないと僕は考えていた。恥ずかしくてあまり人前では言えないが、これが本音だ。

だからこそ、初対面のJにあの問いを唐突に投げかけられて、彼自身の答えを流暢に述べられた時は面を食らったのだ。彼は真剣に人生を生きているのだ、きっと頭の回転は速いんだと敬意を抱くとともに、初対面の、まださほど仲良くない人間にここまで突っ込むかという戸惑いを覚えた。

彼は小さい頃から知的好奇心が豊富であり、理詰めであるということを自覚していたし、周囲の人も感じていたようだ。

「本質的な会話しかしたくない。手段にすぎない表面的な会話は楽しくないから」
「同じクラスには青森から上京してきて外交官を目指して燃えてる人がいる。でも外交官になってから何をしたいかはっきりしてなくて、視野が短絡的」
「とりあえず何かをする、ということも意思決定に含まれるよね」

このような言葉が彼の自信のある口から出てきた。
かなり目的論的な人間で驚いた。
確かに面白い。将来を真剣に考えている。頭もいい。おそらく、一緒に勉強や仕事に取り組む上では頼もしい仲間かもしれない。
しかし僕はなんとなく嫌な気持ちになった。直感的に彼とは本音で話したいと思う日が来る気がしなかった。
冒頭の話にしろ、途中に挟んだ発言にしろそうなのだが、初めて会った人間との距離をとろうしないところに違和感を感じた。もっと具体的に言うと、自分の好みだけならまだしも、嫌いな考え方や人間のタイプまでおおっぴろげに見せてきたり、自分の価値観を相手に押し付けてきたりするところ。場合によってはそれが周囲を不快にさせる。

ここで僕が(反面教師的に)学ぼうと思ったのは、まだ仲良くなって間もない頃は特にそうだが、あまり自分の内面の深い部分まで相手にさらしすぎないこと、そして逆に相手の奥深くまでずけずけと踏み込まないこと。少しずつ仲良くなった後や酒の席でそういうことは話せばいい。踏み込んでもいいが、周囲への配慮は怠らないこと。極端な例だが、「バカなやつは話す気にならない」、こんなことを初対面の人間が言ったとしてこいつと仲良くなりたいとは思わないだろう。余裕というか、寛容さ、気配りの心は、まさしく多様な人間と出会い、彼らを自己の中に取り入れることで得られるものではないか。

なんだ、当たり前のことじゃないかと思う人もいるかもしれないが、これを大きく実感した日だった。自分の思想や感覚を磨いて内に秘めつつも、相手のそれを尊重できる人間になりたい。