Feel my feeling

国家公務員を志して九州の地方都市から東大へ進んだ学生が、将来への悩みや日常への思い、関心のある分野(旅、地理、政治経済、ランニングなどなど)について記していきます。

信仰心が起こるのは自然なことだよ

こんにちは。雪山にこもろうとした結果ちょっとした失敗した、2週間前の話をしたい。初めての日記かな?

前学長の学事暦改革の影響で、今年の東大の冬休み(+春休み)は長い。大多数の大学は年末年始の数日間の冬休みと、試験後の2、3月の春休みという長期休暇の組み合わせだが、なんと東大(の教養学部)は、クリスマスの日を試験最終日とし、その翌日から4月初旬までをまとめて冬春休みとしたのだ。もっとも、この新学事暦は教授には大変不評だったようなので来年からはまた元に戻るけど。

この冬春休みは壮大だ。夢がある。暇と言ってしまえば暇だが、時間の活用の仕方によっては無限の可能性が感じられる。
では僕はこの冬春休みをどう活用しようとしたか?旅が好きだから、極力いろんなところに旅するつもりだった(広い意味での旅であれば最低でも7回の予定!!!笑)。
年末年始は成人式まで地元へ18切符を使ってゆっくり帰省。1月半ばから2月半ばまでの1ヶ月間は越後湯沢のスキー場で1人山籠り合宿、バイトをしつつスキー上達、ランニング。帰京してまたすぐに沖縄へマラソン。3月は貯めた資金クロスバイク購入、関東近郊をぐるぐる回る(埼玉の魅力を発見する旅とかね笑)。同時に新しいサークルに顔出したり、本を読み漁ったり、初めての海外旅行に行ったり。

前置きが少し長くなったが、事件が起こった舞台はスキー場だった。
初めて新幹線でくる越後湯沢には気分もルンルン…ではなく不安が募った。
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雪に馴染みのない土地で育った僕にとって雪国は同じ日本とは思えなかった。駅に降り立った瞬間から空気が違った。冷たい。人が少ない。吹雪。気持ちがなんとなくどんよりした。
川端康成がここを雪国と称したのも頷ける。

そして20分間バスに揺られて契約していたスキー場の寮へ。寮とスキー場もお山のてっぺんにある。事務所の方からほとんど仕事などに関する説明はなく、案内された部屋がこちら。
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汚い。狭い。右の布団、誰かおる?明日の仕事のこともあってさらに不安に。
やることもなく本を読んだり走ったりスマホいじったりして入寮日を終えた。
結局相部屋のはずだったが誰もこなかった(右の布団の謎笑)。

翌朝からリフト係のお仕事。7時半から17時まで。これがかなりの単調作業の上、職場も地元のご年配の方がほとんどであまり馴染めなかった。当然ストレスもたまる。初めの2、3日はスキー場と雪国の閉鎖性にふさぎこんでいた。
しかしそれ以後、気持ちはうなぎのぼりになった。まず仕事と職場に慣れたこと。ポツポツ他の大学生が来て友達になれたこと。なによりもスキー用品のレンタルが可能になって、勤務後のナイターが滑り放題になったこと。下手なので、たくさん転びながらも楽しんでいた。そしてその後の無料の温泉と飯が最高だった。仕事さえ辛抱すれば天国である。
5連勤後、僕は初めての休日をもらった。
「今日こそは」ということで、日頃ナイターでは滑れないコースを午前中にたくさん滑った。
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この銀世界。
お昼も近づき、これで最後にしようということで、なかなかの難所である山頂を滑ることにした。少しずつ取り戻した過去に滑った感覚と、僕の好奇心が山頂に行かせた。

山頂というだけあってなかなかの急斜面である上に、林間の細い道。期待と不安が込み上げる。このままぼんやりしているといつまでたっても滑れないと思い、エイヤー!と身体を投げ込む。案の定、猛スピードが出る。山頂を滑っている人をリフトから見てもわからないが、自分がいざその人になるとやはり凄まじいスリルである。すると目の前に急カーブが現れたのだ。まだまだ未熟な僕は身体を十分に曲がらすことが出来ず、思いっきりこけた。スキーが雪面に45度の角度で突き刺さった。通常ならばスキーから靴が外れて僕の身体が投げ飛ばされるはずだが、どうした事か、靴は外れず身体だけ投げ出された。身体だけが投げ出されて足は固定されたままので僕の左足首はぽっきんと逝った。
痛いよぉ痛いよぉとうずくまること5分、ベテランのおじさんが迎えに来た。あんた大丈夫かい、と。彼がパトロール隊を呼んでくるとわっと辺りに笑いが起こった。お前かよ!!!と(パトロール隊のお兄さんとは前日会ったばかりであった)。

棺桶のようなスノーボートに乗せられて下山し、病院へ駆け込んで緊急治療、所詮は骨折だったがもちろん仕事はできないのでクビ。東京へ1週間で戻された。保険や交通費、治療費などの諸経費がかかったので、給料をもらっても結局5000円しか手元に残らない結果となった。俺は何のために雪山にこもったんだ!!(当初は18万を稼いでクロスバイクを買う予定だった)
これから雪山生活を楽しむ所というのに!!

こうして春休みの予定は1通り消えた。旅もマラソンも。さあどうしよう。バイトしたり友達とぼちぼち遊んだりしながらなにかの勉強でもするか。

最近僕は悪い霊や神というものは存在するのではないかと時々思う。ほかの人と比べて事故や事件に巻き込まれることが多い(これで大怪我は5回目?)。幸い今生きてるけど、大量出血で死にかけたこともある(命はおそらくあの世の祖先に助けられたのかと思う)。怪我が僕の予定を潰してくる。今回は春休みの始まり、ある時は部活の公式戦の1週間前。それに悪いことが起こる日は何か胸騒ぎがするのだ。また、友達の誕生日や彼女との記念日といったような大切な日であることが多い。何なんだ?腹立つけどどうすればいいのか分からない。すがりたい。神様にすがりたい。新年に5社に参った僕にご利益を恵んでください。

このすがりたいという思いは普遍的なものだと思う。まだ学生の分際だけど、きっと生きていることって苦しいことの方が多いのだとも思う。快楽はすぐ過ぎていくけど、辛苦はじわじわと人間を襲う。そんな人生だからこそ、宗教が存在するのは自然じゃないだろうか?僕の周りには無宗教や宗教不要論を主張する人がたくさんいるけど、どっちもおそらく間違ってる。たとえ信仰の対象が純粋な意味での神でなくても、何らかの事物を自分の神=偶像として据えなければ生きていけなくないか?苦しみを乗り越える上で自分に指針を与えてくれるのは、そのような広い意味での神様であるに違いない。抽象論や感覚に基づいた意見で説得力にかけるかもしれないけど、この主張には自信がある。俺自身は神様の存在を信じているし、あの世にも現世にも僕にとっての偶像はいる。何教かは知らん。

とはいえ、新興宗教には気をつけようと思った今日でした。